大林 素子
Motoko Obayashi
基本情報
国籍 日本
生年月日 (1967-06-15) 1967年6月15日(56歳)
出身地東京都小平市
ラテン文字Motoko Obayashi
血液型O型
選手情報
所属ブレス浜松
愛称モトコ
役職ゼネラルマネージャー
ポジションライト
指高231 cm
利き手左
スパイク312 cm
ブロック293 cm
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おおばやし もとこ
大林 素子
身長185 cm[1]
職業女優・タレント・モデル・スポーツキャスター
ジャンル舞台・テレビドラマ・映画
活動期間1997年 - (スポーツキャスター)
2006年 - (女優)
事務所ホリプロ
公式サイト公式プロフィール
大林 素子(おおばやし もとこ、1967年6月15日 - )は日本の元バレーボール選手、スポーツキャスター・タレント・女優・モデルである。東京都小平市出身[2]。八王子実践高等学校卒業。ホリプロ所属。日本バレーボール協会広報委員(元バレーボール日本女子代表選手)、神戸親和女子大学発達教育学部ジュニアスポーツ教育学科客員教授、会津大学非常勤講師、ブレス浜松ゼネラルマネージャー。 東京・新宿区生まれで、物心が付く頃に小平市に転居[3]。小平市立第二中学校でバレーを始め、卒業後の1983年、バレーの強豪校である八王子実践高等学校に進学。高校時代は、第15回
来歴
バレーボール選手として
高校卒業後の1986年、当時実業団のトップチームであった日立に入団(同時に日立製作所に入社)[3]。1989年ワールドカップ直前に、膝の半月板損傷、右足首の靭帯断裂という大怪我をしたため、ベンチ入りはしたもののコートに立つ機会はなかった。オリンピックには、1988年のソウル大会、1992年バルセロナ大会、1996年アトランタ大会の3大会に出場し、日本のエースアタッカーとして活躍した。
1994年7月、日立の他の選手と共にプロ契約を求めて辞表を出し、話し合いを経て撤回した。10月、世界選手権に主将として出場。しかし翌11月、チームの内紛に端を発した騒動で吉原知子とともに日立を解雇される[4][5](Vリーグ発足の翌日のことであった)。
1995年1月、日本人初のプロバレーボール選手としてイタリア・セリエAのアンコーナと契約し[6]、シーズン終了までの5か月間にわたってプレーした[3]。
同年5月に帰国した後は、ダイエー・オレンジアタッカーズ入りが有力視されていたが、代理人問題で二転三転した末に東洋紡オーキスとプロ契約した。
1996年アトランタ五輪に出場したが9位という結果もあり[3]、Vリーグで1シーズンプレーした後、1997年3月に現役引退した[7]。 現役引退後はホリプロに所属し[8]、スポーツキャスターとしてバレーボール中継解説や、VAS(バレーボールアドバイザリースタッフ)として後進の指導にあたる。また、日本バレーボール協会テクニカル委員、日本スポーツマスターズ委員会シンボルメンバー、日本スポーツ少年団委員などの要職に就いている。 1997年からフジテレビのF1グランプリ中継のピットレポーターを務めた[9]。また、スカパー!のフジテレビワンツーネクストでは、『モータースポーツパラダイス
現役引退後
一方で、スポーツ以外のタレント業でもテレビ等で幅広く活躍。2001年には、つんく♂プロデュースによる身長175 cm以上のアイドルユニット『デカモニ。』として歌手デビュー[注 1]。
2006年には初舞台となるAir studio公演『GENJI?最後の源氏?』(東京芸術劇場・藤森一朗演出)では、役者として北条政子を演じた。以後舞台を中心に女優としても本格的に活動を開始。
2008年4月より、神戸親和女子大学発達教育学部に新設されたジュニアスポーツ教育学科客員教授に就任した。
2009年からは“特攻の母”と呼ばれた食堂経営者・鳥濱トメの半生を描いた主演舞台『MOTHERマザー?特攻の母 鳥濱トメ物語?』の上演を続け、ライフワークとしている[13]。
2010年には舞台『ファウストの悲劇』に起用されるなど、以後同作を含めた蜷川幸雄演出の3作品に出演[14]。2015年には『母をたずねて三千里?マルコ?』でミュージカル作品に初出演[13]。